| #でかいな、多摩川は。 |
| #いいな。学校って。 |
| #なんか、生かされている。 |
麻生広郷さんが、スポーツナビで、中村憲剛選手のリハビリの様子を描いています。これは見ておこうと感じ、興味深く読みました。顎を骨折し、病院に運ばれてから、ネガティブば感情ばかり沸き起こります。「相手の4番のことを恨みました。『こんちくしょう、なんでだよ』って。」その負の感情が回復するにつれ変化していきます。「このけがは何か意味があるんだろうと思うようにしている。」もうチャージした4番のことではなく、何か与えられた機会だと受け止めてゆく。ミランのデビット・ベッカムも14日のキエーボ戦で終了間際に左足のアキレス腱を断絶しています。WC出場も絶望的。ベッカム選手はいま、誰に、なにを、感じているのでしょうか。自分の不幸を?相手チームを恨む?運のなさ?。彼も憲剛選手と同じ結論に至ると想います。「自分に与えられた、意味のあるできごとだ。」と。
自分はなんで、顎の骨折やアキレス腱断絶を受けてしまい、不幸なんだと感じていくうちに、なんで、生かされているのだろう。なんで生きているのだろう。とふと感じることがありませんか。ミランのレオナルド監督はベッカム選手が故障したことに、「チームは勝利したが、彼の苦しみを思うと手放しでは喜べない。」と発言しています。自分ひとりが、故障しなければよいとか、あいつが故障したからうれしいといった、負の感情ではなく、自分という選手のために、常に誰かが強く想っている。しかも多くの人々が回復を願っているということに、気づくことができる。薄暗い病室のベッドの上で、ポタポタと落ちる点滴をみながら、感じることなんです。故障はその大きな機会を与えられるんですね。深い絶望感から、次第に周囲がみえてきます。お見舞いにくる人がありがたくてたまらなくなる。生かされているんだ。おれ。と感じるんですね。
「喧嘩はやめようや。」昨日の龍馬はこういって半平太に語りかけます。相手を恨んだり、壊すのではなく、生かすことで見えてくるもの。それはみな、わかるようでわからないこと。おれですか?。いまだにわかんないことだらけです。朝のベーコンエッグでさえ、うまく焼けないですから。


